この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

「聞いて聞いて」のメッセージ

前回の記事で、

「ねぇ、おかあさん、聞いて聞いて」

という感情があがってきたことを書いた。

 

感情があがってきた瞬間は

涙がとまらないほど切なかったのだが、

この感情が、どういうメッセージなのか、

なぜか掘り下げる気分にならず、

意識だけはしつつも、

放ったらかしていた。

 

そして本日。

hiroさん主催のセミナーに参加してきた。

 

 

そこで、「聞いて聞いて」のメッセージの

意味が、クリアになったのだ。

 

 

セミナーの質疑応答タイムに、

「自分で自分にダメ出しをしているのを

感じている。

それがなかなか取れないのだけれど、

どうしよう」

という質問をした。

 

自分は歴史が好きで、

歴史についてブログを書いていること、

それを書くのをサボっていると

「自分ダメ出し」が出てくること、

好きだからこそ妥協できない感情もある、

といった話もした。

 

そこで、いただいたアドバイス

 

「自分以外の人は、

こういったことに興味なんかないんだ、

という思い込みがあるんだよ」

 

「自分はこれが好きだ!でいいじゃない」

 

 

 

・・・そうか。

 

「あたしが好きなことに、人は興味がない。

=あたしが好きなことには、価値がないんだ」

という思い込み。

 

これは、「お母さん、聞いて」を

我慢したことで生まれたんだ。

 

お母さんは仕事や家事に忙しい。

あたしの話は、それに比べたら

聞いてもらう価値なんかない。

 

という感じで、生まれたんだろう。

 

そうか。

あの感情のメッセージは、

「自分の話は、人が興味を持つような

価値なんかない」

という思い込みに対して、

「それは悲しい」と訴えてきていたのか。

 

そして、更に納得したこと。

なぜ、4月半ばに感情が出てきた時、

掘り下げる気にならなかったのか。

 

5月の上旬に、自然とクリアに

なるからだったのか。

 

なるほどなぁ。

 

この世界は(自分も含めて)、

よく出来ている。

 

 

( hiroさんのブログはこちら

 >> 自由な風に吹かれて )