この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

自分の未来が設計できない

未来のことを考えてみた。

未来を悪く思い描く癖があるので、

あえてポジティブに、

自分が思いついた「こうなったらいいな」という未来を。

 

そうしたら、また、もやっと感情が不快感を示した。

 

もやっとは、なかなか言語化しない。

おそらく、「不安でいないと不安」が

まだ、出てきているらしい。

 

遠い未来を思い描くと、

まるで他人事のようで、もやっと反応は軽い。

直近の未来のことを思い描くと、ものすごく、

もやっとする。

 

言語化しないなりに、解釈してみると。

 その描いた未来はさ。

 自分のいいように描いたものでしょ。

 そうならなかったらどうするのさ。

 また傷つくことになるんだろう?

 だったら悪い事態を想定しておいたほうがいいだろ?

 

 大体、自身のことでなく、他人の言動まで、

 自分の都合のよいように未来を描くなんて。

 彼らがそのとおりに現実化するとは限らないじゃないか。

 そんな不確定要素を未来に設定するなんて危険だよ。

 悪い事態を想定しておいて不安になっていなよ。

 

こんな感じだろうか。

 

そういえば。

わたしは未来を設計しようとしても、

あまりわくわくしない。

自分が認識している、「自分の好きなもの」を

並べている感じ。

 

これをやったら楽しい。だからやるんだ。

 

といったわくわく感がない。

10年後くらいの未来を描くときは

「どうせそうなるかわからないから

気軽に適当に描いておこう」といった

適当さがあるのを否めない。

 

なぜだろう?