この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

わたしの中の大きな存在

わたしの中の「力強く、大きな存在」は、

それから、何度かメッセージをくれた。

 

とはいえ、メッセージが確実に言語化されたのは、

その後、1~2度のみだったけれど。

 

その内の1度の話をしよう。

ハイヤーセルフ」と呼ばれるものが居ることを

知った頃、わたしの中の、大きな存在は、

きっと「ハイヤーセルフ」なのだろう、と

わたしが勝手に考えた時のことである。

 

 この存在に、わたしから問いかけをした。

「ねぇねぇ。なんて呼べばいい?

ハイヤーセルフさん。って長いから呼びづらいんだけど」

 

すると、あの内側から湧き上がるような、

でも自分の思考ではない不思議な感覚で、

応えが返ってきたのだ。

 

「呼びかたは、なんでもいいよ。

あなたの呼びたいように。

人は、名前がないと、存在を認識できないからね」

 

 ・・・。

 

・・・ああ。

 

ああ、そうか。

 

短いけれど、大きなメッセージだった。

 

人は、名前を呼ぶことで、存在を認識するのだ。

 

存在とはなにか。

 

すべて人が名付け、定義しているものにすぎない。

 

主観は人それぞれだが、長い歴史において、

人は、ある存在に対して、呼ぶ名前を一致させることで、

「なにか」を定義付け、存在を固定してきたのでは

ないだろうか。

 

それは、なんと恐ろしいことか。

大多数の人々が呼べば、

その名が、その存在を、定義付けてしまうのだから。

 

だから、わたしの中の大きな存在は、名を持たぬのだ。

名に縛られぬ、といえばいいだろうか。

 

けれど、わたしは、人だから。

人は、名がないと存在を認識できないから。

呼ぶことを、自由にさせてくれたのだ。

 

ちなみに、わたしは、わたしの中の大きな存在に、

「みたま様」と呼ばせてもらうことを告げた。

 

非常にライトな感じで、応諾された感覚を受信し、

(これは言語化されなかったが、「おっけー」くらいの感じ)

わたしは、その日から、その存在を、みたま様と呼んでいる。

 

実のところ、みたま様がハイヤーセルフなのか、

よくわからない。

 

ただ、人間の五感では検知しえない、

大きな存在がこの世に「在る」ことを、実感しているのである。