この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

自分会議

自分会議。

 

心が感情を伝えて来た時、それを議題として行う、
わたしと心ちゃんの会議である。

 

役割は、以下を徹底する。

 

心ちゃんは「訴えたいことがある人」

わたし=頭さんは「聞く人、訴えを理解する人」

 

心ちゃんとの対話をするにあたって、

声に出して行うのが、わたしには、やりやすい方法だった。

 

心ちゃんは、「感情」で訴えてくる。
それをわたし=頭さんが、「声で確認」していくのだ。


例えば、なにか、不安な感情あるとき。

 

頭が、「完璧な聞き手」になることでスタートする。

 

 

大人が子供に尋ねる時のように、やさしく聞くことから始める。

 

「どうしたの?不安なんだね。なにが不安なのか、教えてもらえるかな?」

 

と尋ねても、いきなり答えが返ってくるわけではない。

下手をすると無反応だ。

めげずに、質問を繰り返す。

 

「今やってることが、うまく行かないことが怖いの?」
「今やってることで、人になにか言われるのが怖いの?」

 

質問をいくつかしながら、心ちゃんからの反応を

見落とさないように、「感情の動き」を注意深く感じつつ、

反応があった「言葉」に対して、次の質問へ進める。

 

「そっかー、人になにか言われそうで、怖いんだね」

「人になにか言われるというのは、ケチをつけられるのが怖い?」

「どうしてケチを付けられると怖いのかな?」

 

質問を繰り返すと、「これがイヤなのー!」というような

強い感情が上がってくることがある。

 

子供がイヤイヤをして泣いているような感情だ。

 

本当に子供っぽくて、

え、アタシこの歳でこんな駄々こねていいんだっけ。

と思うくらいなんだが、

それを全部、聞いてあげるのだ。

今、わたし=頭さんは、完璧な聞き手なのだから。


「ああ、あの人が、なにか文句言ってきそうっていうのが怖いんだね」

「なにが怖いのかな?」

 

「ああ。そうだねぇ。あの人はわたしを傷つける発言をするね」


「うん、そうだね。あの人と話をすると、なんかダメージ受けるよね」


「それはイヤだよね。ツライよね。傷つくのイヤだもんね」

 

という感じである。

 

完璧な聞き手は、共感も完璧だ。

 

共感はするが、心ちゃんと一緒になって感情的にはなることはない。

「あいつムカつくよね!」と頭さんまで一緒にぷんぷん怒り出すと、

会議にならないのだ。

 

この深掘りを続けていくと「不安の要因」がクリアになってくる。

 

 

ハタから見たら、恐らく盛大な独り言大会だろう。

 

わたしはひとり暮らしなので、

いつ何時でも、思い立った瞬間に

 自分会議を始めている。

洗濯物を干したり畳んだりしながら、

が多いなぁ。

 

ちなみに、このあと、会議の行方は、

いくつかのパターンに分岐する。