わたしの覚悟
今にして思えば、
2016年、悲しみという感情に覆われていた時間は
あるべくしてあったのだ、と
後になってから気づく。
この世のすべてはメッセージなのだなぁ、と
しみじみ思う。
真我を追究する旅路への
スタート地点だったのだ。
自分の中には「心ちゃん」がいる。
そして「頭さん」もいる。
心ちゃんと頭さんが通じ合うと、
自分の思うままに生きることが、当然になる。
それを目指して、瞑想、心ちゃんへ語りかけなどの
やり方や仕組みを説明してくれる人に
出会えた。
2016年夏。
「悲しい」という感情が湧き続けることについて疑問を感じ、
それに対するブログの回答に、
納得感を感じたわたしは、記事の内容を実践した。
それまで、スピリチュアル系のメソッドは
長続きしなかったわたしだが、思エネ式は、続いた。
やっていると、心ちゃんの存在を感じられたからだ。
心ちゃんが、確かに、「居る」のである。
だが、瞑想、語りかけを続けて2~3ヶ月たったころ。
「ようやく反応しはじめてくれてるなー」
という感覚はあっても、
「悲しい」の感情は、減る気配を見せなかった。
ちょうど、うめきちさんの
電話個別相談会(申し込み制、今は多分やってない)が
あったので、このことを相談させていただいた。
「心ちゃんが居ることがわかるのに。
少しずつ反応してくれているのがわかるのに。
なんで『悲しい』が減らないんでしょう」
「うーん。覚悟が足りないのでは」
…覚悟?
してますよぉ!!!
と、その瞬間は思ったのだが。
実際は、全っ然、足りていなかったのだ。