この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

ねぇねぇ、おかあさん

ねぇねぇ、おかあさん、聞いて。

 

誰もいない空間で、小さい子どもが呼びかける。

 

ねぇ。おかあさん。今日、こんなことがあったんだよ。

 

聞いて聞いて。

ねぇ、おかあさん。

 

聞いて。

 

・・・という感情が出てきた。

この日、気心のしれた友人達とのお酒の席が、

珍しく、まったく楽しくなかったのだ。

 

なんでだろう?と思い、

心ちゃんの気持ちを掘り下げてみた。

 

そうしたら、聞いて聞いて、という

幼い感情が出てきたのだ。

 

そういえば酒席で、ひとりの友達が

独壇場でずっとしゃべっていたなぁ。

あたしだって、最近転職したばかりで

色々聞いてほしいのに。

でも、この友達が楽しそうに話し続けていて

話題を変える隙もないし、

あたしの話は、がまんしよう。

 

 

なんてね。

我慢、といいつつ、すっごい不満だったじゃん。

 

それで出てきたのが「聞いて聞いて」だった。

 

 

確かに、わたしは幼稚園に通うころから

鍵っ子だった。

 

幼い時分の思い出は、

家にひとりで居た印象が強い。

 

仕事から母が帰ってきても、

疲れているだろうに食事を作り、

家事をしてる母に対して、

 

「じゃまをしてはいけない」

 

と子供心に感じて、黙々とひとり遊びを

していたような気がする。

 

ずっと自分に我慢させ続けてきたんだなぁ。

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

共鳴せよ

久々にみたま様からのメッセージを受信。

「共鳴せよ」

 

最近、いろいろ上手く行きだしていて、

 浮かれている自分と、

浮かれている自分を不安に感じている自分がいる。

 

「こんなに上手くいっていいんだろうか。

上げといて落とす、みたいな出来事が、

未来に待ち構えていたらどうしよう。

あたし、浮かれ気分だけど、

こんなに浮かれてていいんだろうか。」

 

この不安も観念なんだよなー。

心ちゃんの不安は、安全を求める防衛本能。

 

この観念、まだ全部は取り切れていないけど、

心ちゃんと自分会議をやりながら、

自分にすべて上手くいくことを許可しよう、という

思考が、少しずつ、自然になってきた気がする。

 

そんな折、

気持ちよくお酒を飲んだ帰宅中の路上で

受け取ったメッセージが

「共鳴せよ」だった。

 

多幸感を、自分ひとりのものとするのではなく、

周囲に共鳴(シンクロ)させなさいよ、

という意味合いを含んでいた。

 

この日、酒席をともにした友人が、

「ゆりおと飲んでると、元気でるんだよね」

と言ってくれて、

ものすごい嬉しかったことが脳裏をよぎる。

 

よし。

今日、少なくともひとりには、

幸せ感情をシンクロしたぞ。

 

これからも、やり方はわからないけど、

意識してみよう。

 

共鳴しよう。

 

 

 

 

これでいいのだ

バカボンのパパってすごい。

 

自分で自分を監視して、

責め続けていた自分に気づいたわけだが、

これを解消する魔法の言葉を見つけた。

 

「あれ?こんなことしてていいんだっけ」

「もっとやらなきゃいけないことがあるんじゃ」

「この選択でよかったんだっけ?」

 

なんて思考が浮かんだ時に、この一言。

 

「これでいいのだ」

 

赤塚不二夫先生、ありがとう。

 

 

しなくちゃいけないこと、は、しなくていい

前回の記事で「責任感」という観念がある、

と書いたが、

そんなにかっこいいものじゃなかった。

 

「あれをやらなくちゃ」

「これもやらなくちゃ」

という感情を責任感だと思っていたのだが、

 

「なんで?

なんで あれも これも やらなくちゃいけないの?」

 

と、心ちゃんに問いかけてみた。

 

まーいろいろと質疑応答の末が以下の結果である。

 

「誰かに怒られる。

誰かが常にわたしを監視していて

サボってはだめだ、

もっと多く、

もっと早く、

現状では不足だ、

もっと成果を!

って文句を言うんだ。それが怖いんだ。」

 

「誰が?」

 

「誰かが!」

 

 

心ちゃんは、「常に監視されている」と

悲しんでいた。

 

 

仕事だけじゃなかった。

 

自分のやりたいことをやろう!

わくわくすることをやろう!

と思って行動していたことすら、

監視の対象になっていた。

 

 

フェイスブックで見る友人知人たちは

夢を追いかけて、ちゃんと行動してるじゃないか。

あんな風に”ならなくっちゃダメだ”」

 

「今、自分はなにをしている?

スキーなんかやってる場合か?

もっとやる”べき”ことがあるだろう!」

 

これじゃー強制だわ。

 

ちょうど読んでいた本に

感情的になるトリガーを感じたら

このルールを適用すべし、という一文があった。

 

「『しなくちゃいけない』は、『してはいけない』という鉄則」

 

が、あるとのこと。

 

 

なるほど。

 

自分用の標語に流用してみよう。

 

「『しなくちゃいけない』

と感じたこと、

は、『しなくていい』」

 

 

この瞬間に、気づいた。

 

あたし、ずいぶんと『しなくっちゃ』って

考えてることが、多かったんだ。

 

そこからずれてる時って、自分が一番に気づくのよね。

それで、自分にダメ出しをするから、

「常に監視されてる」っていう心ちゃんの嘆きがあったわけだ。

 

なるほどなー。

 

 

数日後、突然思い立って、日帰りスキーにひとりで行ってみた。

やっぱり滑るの楽しいわ!

 

 

 

 

悲しいときもある

 

いまだに「悲しい」感情があがってくる時はある。

 

現状だと、会社の仕事をしているときが顕著だ。

 

現職の仕事、入社してからの7~8年は

楽しかったんだがなぁ。


徐々に会社・仕事内容とも、

楽しく思えなくなってきている。


これが爆発したのが2016年なのかもしれない。

異動したことで、2017年は

どうにか過ごしたが、今また、

限界が来ている。

 

ここに居たくない!という気持ちに

なっている。

 

この感情はどんなメッセージかな?

と、自分会議を始めてみるんだけど、

どうにも「責任感」が邪魔をして、

心ちゃんのメッセージを

素にままに、受け取れていない気がする。

 

ここまでわかってるなら、

責任感という観念を取ればいいじゃん。

 

この責任感という観念を取る作業は、

高い山だなぁ・・・山、高いなぁ。

誰か助けてくんないかな。

 

こういう時は、誰かに助けて

もらっちゃってもいいのかな。

 

・・・いいのかな。

他人の手を借りたら、

自分の成長にならないじゃん。

オリジナリティがない自分はダメじゃん。

 

おっと。

「自分へのダメ出し」も出てきた。

 

とりあえず行動だ、ということで

転職活動は、やっている。


ちなみに「辞めてやる!」の気持ちで

活動すると、良い求人情報が出てこない。

 

「とにかく面白そう、

を基準に選択してみよう。

給与、条件、度外視で!」

と意図すると、

面白そうな求人情報が増え、

紹介やエージェントとの繋がりも

一気に増えてきた。

 

書類選考も通るようになってきた。

 

でも、面接にいって、

会社や人の雰囲気を感じて、

「なにか違う…?」という違和感を

感じ、そして面接で落ちる。

 

違和感感じてたから、

落ちてもいいんだけど。

 

そのくせ、選考結果を見るたびに、

軽く凹んでいる。


凹む感情を発しているのは

承認欲求か。。。
まだまだ観念があるなぁ。

 


とにかく、感情が、

わくわくする方向へ進もう。

 

 

・・・あれ?

 

わくわくってなんだっけ。

 

 

週末になれば行きまくっていた

スキーも山登りも、

最近、なんだか腰が重くて、

自宅に引きこもっている気がする。

 

 

わくわくってなんだっけ。

 

 

あれ?

 

 

悲しくはないが

いささか途方にくれている。

 

現在、深夜1:24。

まだ仕事中である。

さきほどカップラーメンを食べてしまった。

深夜のカップラ、魅惑の味である。

 

自分を一番大事にしている?

いや、してないよね、こういう生活。一般的には。

でも悲しくはない。

 

こんな時間まで働いていて、

以前だったら、涙ぐみながらキーボードを

叩いていただろう。

 

しかし、今、感情は驚くほどフラットだ。

心ちゃん、悲しくないのかい?

 

自分を大事にするよ、と宣言した。

大事にするってなんだろう。

一般的な価値観はさておき、だ。

 

この状況が、自分自身で引き寄せて

具現化したものなのも、よくわかる。

 

今、起きている状況がイヤなら、

じゃあ、どうしたい?

 

今まではネガティブな感情を解消するための

自分会議だったけれど、

これからは未来を創造するための自分会議をすると

良いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

自分いじめ

自分会議をしていると、

その時の感情(特にネガティブな感情)の

要因がクリアになることが多い。

 

例えば。

感情が、もやっと不安を抱えているとしよう。

明日、会社に行くことを考えると出て来る、もやっとした不安。

これはなんだろうと、自分会議をやってみる。

 

自分会議の結果、

会社にいるとある特定の人が自分を傷つける発言をすることが多く、

その人と接するのがイヤで、会社へ行くことがイヤなのだな。

 

という要因だったことがわかった場合。

 

ここからのわたしの進め方は、いくつかの解消方法を

試してみることにしている。

 

1. 共感と安心の提供

 

「そっかー。それがイヤだったんだね。つらかったよね。

あの人の発言でわたしの価値がどうこうされることはないからね。

わたしの価値はわたしが知っている。

もう、あの人の言葉に、心ちゃんを傷つけさせないよ!」

 

多分、心ちゃんは、伝えたかったのだ。

傷ついていることを知ってほしい。守ってほしい。

これが伝わったことで、ふっとネガティブな感情が消えることがある。

 

 

2. さとるさん直伝の「いらない!」メソッドをやる。

 

やった直後は、「効いている…のか?」と感じるときもあるが、

翌日から、現実に良い変化が起きて、びっくりすることも多い。

 

「いらない!」メソッドについては

「思いはエネルギーパラレルワールドが導く真の世界」

思エネブログをご参照。 

 

 

3. 更に深掘りする。

 

すると、頭さんが心ちゃんをいじめていたことが

発覚することがある。

 

もやっとした感情を掘り下げていたら、

うっかり、頭さんが「完璧な聞き手」ではなく、

心ちゃんと一緒になって、不満を言いだしたことがある。

 

「会社行って、どんだけたくさん仕事しても、

 あの人はきっと文句を言うに違いない。

 

 『もっと仕事をしろ、わたしはまだ満足しない、

 きみたちはもっとわたしに貢献するべきだ!

 仕事量は言い訳にならない。効率化をすれば出来るはずだ!

 それが出来ないきみたちは、本当に使えないな、ふふん!』

 

 なんて言ってくるんだろうなー。

 人を人間でなく、ただのリソースだと思ってるんだろうなー」

 

と考えていたら、

心ちゃんが、ものすごく不快感を伝えてきた。

 

ここで、ふと気づいたのだ。

 

これ、「自分の思考」だ。

 

これが自分いじめか。

『』の内容は、頭さんが、心ちゃんに対して

言ってしまっていることなのだ。

 

そりゃあ心ちゃんは悲しいし、不満だわ。

 

パターン3番で、自分いじめが発覚した時、

不安感が一気に解消することが多い。

 

ひとまず、頭さんは、心ちゃんに、真心をこめて謝罪しようね。

 

それから、

心ちゃんが言われてイヤ、という感情を伝えてくることを、

頭さんは考えないこと。

 

心ちゃんは、感情でメッセージを伝えてくるのだ。

それを無視すれば、もっともっと、不安や不快感を

あげてくるだろう。

頭さんに伝わるまで。

 

ここからは頭さんの頑張りドコロだ。

 

じゃあ、心ちゃんはなにを言われたら嬉しい?を

考えるのだ。

 

「心ちゃん、もう頑張らなくてもいいよ。

頑張らなくても、

心ちゃん、わたしたち、今のままで、

素晴らしい存在だもの。

ずぼらでも、うっかりさんでも、

どんなわたしでも、わたしは大好きだよ。

この世で一番大事にするよ」

 

これで、不安や不快感が、かなり解消する。

 

しかし、言葉だけでは一時的な解消にすぎない。

 

「この世で一番大事にするよ」の言葉を実践しなくては。

 

これが、いまだに、難しい段階なのである。