この世のすべてはメッセージ

感情も出来事も、すべてがメッセージ。

しなくちゃいけないこと、は、しなくていい

前回の記事で「責任感」という観念がある、

と書いたが、

そんなにかっこいいものじゃなかった。

 

「あれをやらなくちゃ」

「これもやらなくちゃ」

という感情を責任感だと思っていたのだが、

 

「なんで?

なんで あれも これも やらなくちゃいけないの?」

 

と、心ちゃんに問いかけてみた。

 

まーいろいろと質疑応答の末が以下の結果である。

 

「誰かに怒られる。

誰かが常にわたしを監視していて

サボってはだめだ、

もっと多く、

もっと早く、

現状では不足だ、

もっと成果を!

って文句を言うんだ。それが怖いんだ。」

 

「誰が?」

 

「誰かが!」

 

 

心ちゃんは、「常に監視されている」と

悲しんでいた。

 

 

仕事だけじゃなかった。

 

自分のやりたいことをやろう!

わくわくすることをやろう!

と思って行動していたことすら、

監視の対象になっていた。

 

 

フェイスブックで見る友人知人たちは

夢を追いかけて、ちゃんと行動してるじゃないか。

あんな風に”ならなくっちゃダメだ”」

 

「今、自分はなにをしている?

スキーなんかやってる場合か?

もっとやる”べき”ことがあるだろう!」

 

これじゃー強制だわ。

 

ちょうど読んでいた本に

感情的になるトリガーを感じたら

このルールを適用すべし、という一文があった。

 

「『しなくちゃいけない』は、『してはいけない』という鉄則」

 

が、あるとのこと。

 

 

なるほど。

 

自分用の標語に流用してみよう。

 

「『しなくちゃいけない』

と感じたこと、

は、『しなくていい』」

 

 

この瞬間に、気づいた。

 

あたし、ずいぶんと『しなくっちゃ』って

考えてることが、多かったんだ。

 

そこからずれてる時って、自分が一番に気づくのよね。

それで、自分にダメ出しをするから、

「常に監視されてる」っていう心ちゃんの嘆きがあったわけだ。

 

なるほどなー。

 

 

数日後、突然思い立って、日帰りスキーにひとりで行ってみた。

やっぱり滑るの楽しいわ!