気づく、ということ
長らく手こずっていた、不安を手放せない問題。
最近、まぁまぁ、乗り越えた気がする。
どうやったかというと、ヴィパッサナー瞑想をきっかけに、
さまざまな仏教系の識によるところが大きい。
不安を手放せなくて、どうにかする術はないかと
あがくように情報収集していたら、
「ヴィパッサナー瞑想」という本があることを知った。
もともと瞑想は好きだし、仏教も好きなので、即購入。
これが、実に良かった。
ヴィパッサナーは「気づき」の瞑想。
不安は、自分の「想」が作り出すもの。
(般若心経に出てくる「受想行識」の「想」という単語を使ってみた)
想が、事象を歪ませる「不安」を作る前に、
事象に気づき、その事象のみを言語化し続ける。
常に、これを続けることで、「想」が発する歪みに気づき、
「想」をコントロールできることに気づくのだ。
やってみたら、納得。
確かに、不安は、自分の「想」が作り出していた。
まさしく、気づきの瞑想だ。
間を空けず「維摩経」という経典に興味を持つ機会があった。
有名ではない経典の名前だけれど、
なぜか惹かれるものがあって、
100分で名著の「維摩経」を見てみた。
ヴィパッサナー瞑想が、四苦から解放される為の「やり方」
を説明しているものだとしたら、
維摩経は、なぜそのやり方で四苦から解放されるのか、
「構造」を説明してくれた。という感想を持った。
構造がわかると、さらに納得感が深まる。
「ヴィパッサナー瞑想」の本 と
「維摩経」の組み合わせは、実に良い。
その他に、たまたま聞いたとある僧侶の方のお話しだったり、
般若心経の解説だったり。
ご縁がつながるのか、仏教系の知識を得る機会が続いたなあ。
そして、それらの識が、不安を手放せない問題を、徐々に解消しつつある。
で、ひとつの解消が見えてくると、次の課題が出てくるわけだ。。。